HONDA CR-X シビック

CR−X(EF7) CR-X・Si EF7 (1988年)

ジムカーナの1600クラスの主力車種のパーツ開発の為に、このEF7型のCR-Xを購入しドライバーに岡野博史を起用した。当時は旧型のAS型の方が速いと思われていて何処も本気で開発しようとしなかったので、へそ曲がりなアルファが「絶対に速くする。」と意気込んで開発に着手した。この車で岡野選手はFFドリフト走行に開眼することになった。その結果、それまでの「FF車はグリップ走行の方が速い」と言う定説が見事に覆されることになった。(今の岡野選手の激しい4WDドリフトの原点はココにある)このEF7型のCR-Xは今でもパイロンコースでは新型車両を千切る実力を発揮している。写真は「日本ランド特設会場」でのイベントにおける1コマ。


CR−X(EF8) CR-X・SiR EF8 (1990年)

EF7型のマイナーチェンジに伴って設定されたVTECエンジン搭載のEF8型CR-Xは従来のNA車の常識を覆すハイパワー車であった。やや、EF7型に比べフロントヘビーではあったが、その気持ち良いエンジンフィールと良質なサスペンションで瞬く間にA2クラスの主力車種となった。この車の時も「旧型のEF7の方が速い」と言うドライバーがいたが、その人は今でもそう思っているのだろうか?。ドライバーはもちろん岡野選手でこのEF8型は2年間で2台乗り継いだ。1991年のC地区戦での世代交代を賭けた「堀内vs岡野」の死闘は最終戦までもつれ込み、とてもドラマチックであった。(結果的には岡野選手の勝利で幕を閉じた)写真は「浅間台スポーツランド」での練習会における1コマ。


CR−X(EG2) CR-Xデルソル・SiR EG2 (1992年)

CR-Xがフルチェンジしてこのデルソル(EG2型)が発売された。重量増とリヤヘビーなバランスが不安であったが、CR-Xの名前に釣られてテスト用に購入した。悪い予感は見事に的中し、EF8から乗り換えるメリットが全くない車に成り下がっていた。結果的にEF8型CR-Xが最後のFFスポーツカーとなった。また、規則の解釈でEG2はロールバーの取り付けを義務付けられる事になり、ただでさえ重い車にロールバーを付けてよりハンディを負うことになった。それでも、四国の徳永選手がドライブしG地区のA2チャンピオンを獲得した。(多少のマシンハンディはテクニックで補える証明である)カラーリング的には黒と黄色のトーンがとても綺麗な車であった。写真は「浅間台スポーツランド」でのテストにおける1コマ。


シビック(EK9) シビック TypeR EK9 (1997年)

CR-Xが廃止モデルになり、新たにシビックにTypeRが発売されたので、開発する事になった。残念ながらかなりの改造を施さないと戦闘力を発揮しない車で、当初はCJ4Aミラージュよりも良い結果が出なかった。ただ、車両規則の大幅な規制緩和のおかげで、ポテンシャルがアップしてその後の全日本では大活躍した。次期開発車両の関係で、残念ながら、この車での全日本ジムカーナ参戦は1戦だけで終了した。写真は1997年にラリーキッズ伊那で行われた全日本最終戦での1コマ。

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